嫌ってたの、「映え」じゃなくて「必死さ」だったのかもしれない。
力みが見えると、なぜか離れたくなる。その感覚のこと。
Substackを始めてから、
フォローしたくなる人の傾向が変わってきました。
以前は「すごい実績のある人」
「情報が濃い人」を探してたんですけど、
今は「なんか落ち着く人」のところに居たくなってる。
この感覚、うまく言葉にできなかったんですが…
最近少し整理できてきました。
「映え」より「必死さ」が透けて見えるとき
映える写真や華やかな投稿が嫌いなわけじゃないんです。
きれいなものはやっぱりきれい。すき。
でも見ていると、
たまに「これ、承認が欲しくてやってるのかな…」っていう空気が滲み出てくることがあって。勘違いかな。性格悪いかな。でも、そこが少しきつく感じるんです。
バズを狙った言い回し、炎上に乗っかる投稿、
「これ知らないと損」という煽り。
どれも上手に作られているんですけど、
読んでいると「この人は今、必死なんだな」
というのが伝わってきて、なぜか疲れてしまう。
嫌いなんじゃなくて、
エネルギーを持っていかれる感じがするんですよね。
絵本を作っていて、気づいたこと
子どもって、「すごい絵本」より
「また読みたい絵本」のそばに帰ってくるんですよね。
娘も、わたしが作った絵本「かくれてる つもり! しろにゃん」を
何十回も持ってきます。
でも理由は多分「この絵本すごい」じゃなくて
「この子が好き」なんだ、ということ。
作り手が何かを必死に訴えている絵本は、
子どもにはあまり響かない気がします。
ただそこにいる、というキャラクターのほうが、
気づいたら「また会いたい」になってる。
SNSの「落ち着く人」の感覚と、
これがすごく重なるように思います。
力みがない、というのは「手を抜いている」わけじゃない
静かな人、淡々としている人って、
力んでいないように見えますよね。
けど、よく読むとちゃんと深いことを書いていたりします。
必死に見せていないだけで、実は丁寧に考えている。
その「見せない努力」みたいなものが、
やさし~く伝わってくる感じがあって。
わたしが朝3時に起きて夫の仕事部屋の隅でこつこつ書いているのも、
誰かに「すごい」と言ってもらいたいんじゃなくて、
ただ書きたいから続いているんですよね。
その感覚を大事にしたいな、って思ってます。
結局、嫌われていたのは「映え」じゃなく
「承認が欲しい」という気持ちが
透けて見えることだったのかもしれません。
「落ち着く場所」を作りたくて、Substackを始めた
役立つことを届けたいという気持ちはあります。
でもそれより先に、
ここに来たときにザワザワしない場所にしたくって。
読んだあとに何かが増えるより、
ちょっと呼吸が楽になる、くらいがいい。
ワーママで絵本も作っていて、あれもこれもあるなかで、
それでも朝に書き続けているのは、
この場所がそういう場所であってほしいから、
というのが大きいかもしれません。
皆さんが「落ち着く」と感じる人や場所、
最近ありますか。
よかったら教えてもらえたら嬉しいです。



まいさん、おはようございます。発信からその人がどういう人なのか透けて見えますよねこのSubstackは🤣
子どもが好きだった絵本は何度も読んでポロポロ、でも買って良かったと思う。そんな発信者になりたいですね。