「AIで作ったの?」と聞かれるのが、最初は嫌でした。
でも「AIかどうか」で見ていなかったのは、子どもでした。
絵本を見せると、たまに聞かれることがあるんですよね。
「これ、AIで作ったんですか?」って。
最初は正直、少しだけ複雑な気持ちになっていました。
「AIっぽく見えるのかな」
「そう見えること、どうなんだろう」って。
正直に言うと、AIっぽさが苦手でした
AIで作った絵を見ると、
「あ、AIだ」ってわかる感じ、ありませんか?
整いすぎているというか、
どこかつるんとしている感じが少し苦手だったんですよね。
SNSで流れてくるAIイラストを見ても、
「上手だな」とは思います。
でも3秒後には忘れているような感覚があるんです。
だから最初は、
自分の絵本をAI使用と思われることが、
ちょっとだけきつかったんです。こんなに使っているのにね。
「AIかどうか」で見ていなかったのは、子どもでした
くろにゃんを作っていたとき、
子どもがPCをのぞきに来るようになりました。
「にゃんにゃん見せて」と毎朝来て、
気づいたらくろにゃんのことを好きになっていて。
AIで作ったキャラクターだとか、当然知りません。
むしろ、そんなことは関係なくて。
ただ「この子が好き」だったんですよね。
その事実が、すごくシンプル。
わたしの中のモヤモヤしたものを、
少しほどいてくれた気がしました。
何度も試した時間が、キャラクターの中に残っていく
くろにゃんを作ったときは、
AIで何パターンも出してもらいました。
耳の形、目の大きさ、全体のやわらかさ。
「なんかちがう」がずっと続いて、もう見たくない!なんて思う日も。
それでもやっぱり、また試して、また戻して。
夫の仕事部屋の隅で、
子どもが起きてくるまでの時間にひとりでpcをカチカチしていました。
ある朝、ふと「あ、これがくろにゃんだ」と感じる瞬間がきて。
技術的に何かが変わったわけじゃないんですけど、
それまでの絵と確かにちがって見えて。
その瞬間から「AIが生成した猫」じゃなくて
「くろにゃん」になったんですよね。
何度もなんども試して、戻して…を繰り返した時間が、
少しずつキャラクターの中に入っていく。
そういうことなのかな、と感じています。
「手段」より「誰が作ったか」が残る、と気づいて
AIで作ったかどうかより、
どれだけその子のことを考えた時間があるか。
そっちのほうが、
作品に残るものに関係しているのかもしれない…
と、最近感じてます。
「AIで作ったの?」という質問に、
今は少し違う気持ちで答えられるようになりました。
「使ってます。でも何十回も試して、この子になりました」
って、言えるようになってきた感じ。
今のわたしのAIとの付き合い方
AIは道具として使っています。
でも「うまく出力させること」を目標にするのをやめてから、
少し変わりました。
「この子っぽさ」を探す作業の相棒として使う感じで。
AIかどうかより、
その作品に「誰かの時間が入っているか」のほうが大事なのかもしれない。子どもがそれを教えてくれた気がしています。
「AIで作ったの?」と聞かれたとき、
皆さんはどう感じて、どう答えていますか。
よかったら教えてもらえたら嬉しいです。
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まいさん、すごく分かります。私もAIでWEBサービスを作っていますが、特にLPやHPのデザインは、AIっぽさのようなものがどうしても残ってしまうので、自分で手を入れてオリジナルに仕立てることを意識したりします。
子供はそんなこと気にしないというのも素晴らしい気づきでハッとしました。クリエイターって、自分の作品はこういうものだということにこだわるひと多くて、その情熱も大事なんですが、それをどう感じるかはあくまでも受け手側なので、その余白を作り手側が楽しめる作品作りをしたいものです。
クロにゃん、可愛いですねぇ!
「AIで作った?」と聞かれると「楽をして作った?」っていう風に言われた気がしますからね。
実際は全然楽じゃないし、何度も修正入れる必要もありますが。
とはいえそうして時間をかけたからこそ、愛着を持てるんだなって思ってます(^―^)