PCをいじっていると、「にゃんにゃん見せて」って言ってくる。
誰にも頼まれてないのに、やめられないことがある。
絵本を出版する前、 まだ誰にも見せていなかった頃のことを よく思い出します。 AIで自分だけのキャラクターが作れると知って、 「くろにゃん」を作り始めたんです。
仕事でもない。 誰かに頼まれたわけでもない。 ただ、楽しくて。 夫の仕事部屋を借りて、 PCや書類が積んであるデスクの端っこの 狭いスペースで、ひとりでいじってました。 「この子、このポーズさせたら かわいいかも」とか、 「目の大きさ、もう少しだけ変えてみよう」とか、 何パターンも試して、 また戻して、また試して。 誰も見てないのに、 なんか真剣だった。
そのうち、子どもがそこに来るようになって。 「にゃんにゃん見せて。」 あ、って。 お話でも、絵本でもなく、 このキャラクターのことが好きなんだ。 子どもが誰かを「好き」になる瞬間って、 理屈じゃなくて。 説明できない何かが心に引っかかって、 気づいたら「また会いたい」になってる。 そのとき初めて、 わたしがずっと作りたかったのは これなんだな、って気づいた気がして。 「かわいいね」で終わるんじゃなくて、 また会いに来てもらえるキャラクター。
わたしは時短勤務の会社員で、 20時に子どもと一緒に寝て、 3時に起きる生活をしてます。 子どもが起きてくるまでの時間、 また夫の部屋の隅に座って くろにゃんのことを考える。 Substackを始めたのも、 この時間に「ちゃんと残る場所がほしい」と 感じるようになったからです。 毎日投稿してるXは、 流れていく感じがして、少ししんどくなることがある。 積み上がってるはずなのに、 なぜかすぐ失ってしまうような不安があるんです。 キャラクターも、発信も、 「また会いに来てもらえる場所」に したいんだろうな、と最近思ってます。
AIで絵が作れる時代になって、 「かわいいキャラクター」は誰でも出せてしまいます。 わたしも使ってます。 ChatGPT image2も、Geminiも。 でも使えば使うほど感じるのは、 「速く作れること」と 「にゃんにゃん見せて、と言ってもらえること」は 全然別の話だってことなんです。 後者は、たぶん 誰も見てないのに真剣だったあの朝の時間が、 少しずつ作っているもの。
「キャラクターを育てたい」と言えるようになったのは、 決意したというより 気づいたらそこにいた、という感じで。 やめる理由が見つからないから、 続けてる。 同じように、 やめられないものを持っている人に 届いたらいいな。




